視察研修旅行

先日、当社が所属しております、倉敷美誠清掃協同組合にて
視察研修旅行に行ってまいりました。

倉敷美誠清掃協同組合は、倉敷市内において一般廃棄物の収
集運搬の許可を有する許可業者16社で構成する組合で、共
同事業を通じ各組合員の経済的地位の向上を目的に活動して
おります。

毎年、懇親も兼ねて一泊二日の行程で旅行に行っておりまし
たが、昨年度は西日本豪雨災害の影響もあり、各社が復興に
向けて忙しくしており、組合としても自粛せざるを得ません
でした。

ということで、今回は2年ぶりの開催。その模様をお伝えし
たいと思います。

今回の目的地はこちらです。

やって来ました。鹿児島。

九州新幹線のおかげで岡山からでも3時間で着くようになり
ました。もともと暖かいイメージはありましたが、暖冬とい
うこともあり、寒くなかったですね。

まずやってきたのはこちらです。鹿児島中央駅からバスに乗
り換え約1時間。南九州市の番所鼻にあるこちらのお店。

いせえび荘さん。

なんと、伊勢海老のランチからのスタートとなりました。(^^♪
何とぜいたくなランチ。

お店の周辺は景勝地になっており、とっても眺めがよかった
です。

遠くに見える山は長崎鼻。こちらも鹿児島県では超有名な観
光名所です。

皆さんお腹いっぱいになったところで、次にやってきたのは
今回の旅行で一番のメインコース。

知覧特攻平和会館です。知覧町は、旧日本軍の陸軍飛行学校
があった場所で、この会館には沖縄戦で戦死した若き特攻兵
にまつわる資料が数多く展示されていました。

今回の旅行の一番の研修は歴史の勉強です。正直、私もここ
に来るまでは、ここはどんなところで、どんな記念館なのか
それほど知りませんでしたが、今では、鹿児島に来て、ここ
を訪れて本当によかったと思える場所です。

沖縄戦からさかのぼること40年。日露戦争という戦争があ
り、小さな島国である日本が大国のロシアに勝てるはずがな
いという世界の予想に反して、日本は勝ってしまいます。

そのことに脅威を感じたアメリカは、日本を恐れはじめ、今
まで供給していた日本への物資の提供をやめてしまうのです。

そのことに端を発し、日本はアメリカと戦争に突入します。
真珠湾攻撃は映画にもなったことで有名ですよね。

戦況は徐々に日本が不利となり、沖縄に上陸を開始したアメ
リカ軍に対抗しようと考えたのが特攻隊です。

その特攻兵がこの知覧の飛行学校で学んでおり、ここから沖
縄に向けて死を覚悟し何人もの若者が飛び立って行きました。

今回、ボランティアガイドをして下さったIさん。奥の青色
の服を着た女性の方。とっても若々しく素敵な年配の方でし
た。

そのIさんのお話の中で、一番心に残ったエピソードを紹介
したいと思います。

伍井芳夫(いついよしお)さんという32歳の特攻兵の方。
伍井さんには奥さんと幼い3人の子供たちがいました。

娘さん2人と8カ月の長男、芳則(よしのり)くんです。い
つしか自分にも特攻の命令が下り、伍井さんは芳則君に遺書
を残しました。

8カ月の子が遺書なんてわかるわけないので、伍井さんは遺
書の封筒にこう書きました。

「物事の道理がわかる年頃になってから知らせよ」

奥さんは、伍井さんが戦火に散ったことを知らされると、シ
ョックで母乳が出なくなり、芳則君はお父さんの遺書を見る
ことく、やがて栄養失調で亡くなったそうです。

その遺書を伍井さんの娘さんが、この知覧の会館で展示して
下さいと持ってこられ、他の多くの遺書とともに展示されて
いました。

遺書の内容はここでは記しませんが、涙なくしては読めませ
ん。特攻兵はみんな二十歳前後の若者です。その方たちの写
真も数多くありましたが、突撃前夜でもみんな笑顔で写って
いたのが印象に残りました。

国のために戦って死ぬことは名誉なこと。

今では考えられませんが、日本の軍事教育の物凄さを感じま
した。

会館の中は撮影禁止でしたので、外の展示物をご紹介します。

こちらは三角兵舎です。特攻前日に特攻兵たちが寝泊まりし
た小屋です。翌朝には枕が涙でぐっしょりと濡れていたそう
です。

知覧の町には、このような灯篭があちらこちらに見えます。
亡くなった特攻兵を鎮魂するためでしょう。

この特攻兵の銅像は遠く沖縄の方向を見つめています。

実際に突撃した特攻機です。機体が無残です。

日本には数多く戦争の惨禍を後世に伝える施設が数多くあり
ます。

見て学ぶことには、このような場所を訪れ、書籍を読んだり
して知ることができます。

しかし、聞いて学ぶことには、今回ボランティアガイドして
下さったIさんのような方がとても貴重だと感じました。

抑揚や感情も伝わってくるので、何十年も前のことが最近起
こったことのように聞こえてきて、すーっと耳に入ってきま
す。

会館の中では語り部さんの話もあり、これまた心に沁みまし
た。

そのとき生きていた人の時代にはタイムスリップしない限り
行けないわけで、そうなると、歴史を学ぶために重要なのは
語り継ぐことなんだなあと思いました。

よくニュースで耳にする言葉で、戦争を知っている世代が高
齢になり、戦争の惨禍を知る人がいなくなる。と言われてい
ます。

これって、でも当たり前のことですよね。人はいつか死ぬん
ですから。

では、どうやったら語り継げるか?

自分で学ぶ方法と人から学ぶ方法。私は今回の旅で人から学
ぶことの重要性を感じました。

ボランティアガイドのIさんの話を聞けて本当によかったで
す。

さて、旅行の一日目は終始、歴史の勉強で終わりました。
2日目は、鹿児島市内の観光です。

鹿児島と言えば、やっぱりここですよね。
鹿児島のシンボル桜島。今日も噴煙を少し上げていました。

と、その時

爆発的噴火!!と思ったら、これぐらはしょっちゅうだそう
です。(笑)でも、これでもものすごく噴煙が上がっていま
したよ。

桜島の近くにあるビジターセンターというところです。

常に火山活動を記録しているようです。

この黄色い袋は何だと思いますか?

鹿児島市内では火山灰が日常的に降ってくるそうで、市が各
家庭にこの袋を配っているそうです。この中に灰を入れて指
定の場所へ置いておくと市が回収してくれるシステムらしい
です。鹿児島の人は、桜島と共に生活しているんですね。

近くにはこんな施設も。日本で2番目に長い足湯。その長さ
なんと100メートル。みんな気持ちよさそうです。

こちらは鹿児島の有名工芸品。薩摩切子です。ガラス細工で
できており、中には170万円の急須もありましたよ。(≧◇≦)
緊張してお茶も飲めませんね。(笑)

旅の終わりも近づき、最後のランチは鹿児島豚しゃぶしゃぶ。

鹿児島発祥の白くまアイス。

一人では食べきれません。

最後は、西郷隆盛像に別れを告げ、帰岡の途につきました。

今回の旅は研修旅行。こういった旅行に行けるのも組合あっ
てのこと。同業者で集う組合ですが、同業者はライバルでは
なく協業者。一社ではできない仕事もたくさんの同業者が集
まればできることもたくさんあります。

倉敷市の環境美化に向けて組合員一同これからも頑張ってい
きます。今回の旅行に参加された組合員の皆様、お疲れ様で
した。


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